鎌倉ハム 富岡商会の歴史
▽目次
■鎌倉ハム 富岡商会の始まり
明治22年(1889年)、東京と神戸間に東海道本線が開通しました。創業者の富岡周蔵はこれを機に、大船駅近くで駅弁の販売を行います。これが現在、「鯵の押寿し」などで知られる大船軒の始まりです。そして明治32年(1899年)、大船軒は"日本で初めて"のサンドウィッチの駅弁を売り出し、西洋風の新しさと美味しさとでたちまち評判となり、全国的にその名が知れわたりました。当時は、輸入ハムを使用してサンドウィッチを作っていましたが、買い求める客が増えてくると品切れになることが増え始め、自前でハムを生産することになりました。この自家製のハムを使ったサンドウィッチは好評で、葉山の御用邸に行かれる折、天皇家もこのサンドウィッチを購入されたので、「天皇家も召し上がったサンドウィッチ」ということで、その名は更に広がってきました。やがてサンドウィッチに使うハムだけの注文が増えてきたため、明治33年(1900年)に大船軒からハム製造部門を独立させて本格的なハムの製造を始めました。これが「鎌倉ハム富岡商会」の始まりです。
■ハム製造業界初の冷蔵庫設備
明治43年(1910年)、当時は未だ冷蔵庫が普及しておらず、ハムの製造は洞窟内で漬け込みを行い冬場のみの製造でしたが、ハムの需要は日毎に多くなっていきました。そこで創業者の富岡周蔵は、1年を通してハム製造ができるよう、当時冷蔵設備を保有していた横浜の冷蔵製氷会社と契約し、冷蔵庫を借り、1年を通してハムの製造を始めました。これが日本のハム業界で"初めて"冷蔵庫を利用したハム製造の始まりです。
■ロースハムの製造100周年
大正10年(1921年)当時、ハムは高級な食品であったため、一般家庭ではなかなか手の届かない食材でした。一本のもも肉で一本のハムしか作れなかったため、米一俵分の値段と同じくらいといわれる程でした。そこで、鎌倉ハム 富岡商会は一般家庭の食卓に並ぶハムを作ろうと「ロースハム」の製造を始めました。その当時は、ロースハムを製造するハムメーカーはほとんどありませんでした。ロースハムは、高級で特殊な食品であったハムが、一般家庭の食卓まで届くきっかけとなり、鎌倉ハム富岡商会のさらなる発展へとつながりました。
■ドイツの飛行船の機内食に採用
当時の「鎌倉ハム 富岡商会」の評価を知るエピソードとして、昭和4年(1929年)、ヨーロッパを飛び立ったドイツの飛行船「ツェッペリン号」が日本に飛来しました。その時某高級ホテルが提供した機内食メニューの中に”Kamakura Ham”の一品が記されています。創業当時から受け継がれてきた日本のハムづくりが、ハムの本場ヨーロッパから認められた証です。
■1964年開催の東京大会の納入業者に
東京大会にて世界中から集まった選手・役員は約1万人。東京大会にて集まるヨーロッパ各国の人々は、ハム・ソーセージの先進国であるため、提供する食材にどのハムメーカーを使うかが問題になりました。選手が宿泊する施設の食堂を担当する各ホテルや、有名食堂のシェフが各ハムメーカーの工場を訪れ、その結果シェフたちからの絶大な信頼を得たことから、鎌倉ハム富岡商会は日本における本格的な国際イベント「1964年 東京大会」の納入業者に決定。スポーツの祭典を「食」の分野からサポートし、「鎌倉ハム 富岡商会」の美味しさを全世界の人々にアピールしました。この実績もあり、のち開催される「1972年 札幌冬季大会」にも鎌倉ハム 富岡商会の商品が納入されました。
■農林大臣賞受賞
こうして、日本の食肉加工業界をけん引した「鎌倉ハム 富岡商会」は昭和41年(1966年)に開催された品評会にて「骨付きハム」に最高の名誉賞・農林大臣賞が授与されました。「鎌倉ハム 富岡商会」の品質や技術が第一級と認められた瞬間です。
■そして次の時代へ
2020年11月に「鎌倉ハム 富岡商会」は創業120周年を迎えました。創業当時から鎌倉の地でハムづくりを続け、受け継がれてきた伝統や製法や技術を大切に、多くのお客様のご支援のおかげで節目の年を迎えることができました。
120周年を迎えた今、華やかな食卓を演出する主役として更なる美味しさ、感謝をお届けし、今まで以上にお客様に「ごちそう」をお届けしてまいります。